ナザレ研修会が目指すところ
ナザレ研修会会長
遠 藤 徹
ナザレ研修会が目指すところを一言で述べるよう求められたなら、私は次のように言い表したいと思います。ナザレ研修会は「現代の時代状況の中で力強く生きるキリスト教徒とされることを目指す。」或いは、より簡潔には、「現代の力強いキリスト教宣教者とされることを目指す。」
現代、キリスト教が必ずしもはかばかしく多くの人々の心を捉えているとは言い難いのはどういう理由からでしょう。いろいろな原因と見方があると思いますが、その中の一つに、間違いなく、キリスト教が現代の時代状況にぴったりふさわしくメッセージを伝え得ていないということがあるでしょう。
現代とはどういう時代でしょうか。一つの答えは、間違いなく、「科学が人間の全思想と全生活を根本的に支配している時代である」でしょう。科学がリードする現代社会のテンポにキリスト教ははたして十分に追いついて行っているでしょうか。現代人の大半は科学こそ間違いない知識をもたらすと確信していますから、キリスト教(徒)が科学ときちんと渡り合っているという印象を抱けない限り、人々がキリスト教に深い関心を抱かないのは当然でしょう。
いったいキリスト教は科学をどう見るのでしょうか。それはキリスト教と終始相容れないものなのでしょうか。それとも二つは別々の領域でそれぞれの正当な働きを持つもので、きちんと整理すれば調和し、助け合いすらするのでしょうか。私には後者であるように思えます。しかし、その整理の努力はこれまで十分に行われて来たでしょうか。ナザレ研修会が目指す一つのことはそこ、つまりその整理です。
例えば、聖書という書物を、これまでキリスト教徒は神から啓示された、一点一画もおろそかにされてはならない書物と見なしてきました。ところが科学はその実証的な研究によって、これが歴史的に様々な変更や修正を積み重ねて書かれてきた人間の努力の結晶の書物であることを否定しようなく明らかにしています。このとき私たちはどうするのでしょうか。「そんな科学的な研究など神の前に何の意味も持たない」と言って、頑なに聖書にしがみつき、丸ごとそれを信じ込むのでしょうか。それとも、人間の努力の結晶であることを素直に認めながらも、その奥深くには、根源には、それを導いた、人間の力を超えた「或る力」があったことを、霊の力によって感じ、その「或る力」からの声として書き手たちのメッセージを聴き取るのでしょうか。
それだけでなく、古くて新しい問題――科学と信仰――という問題に関して、両者の関係は適切に整理されているでしょうか。「聖書と進化論」という問題は現代ではもう「古い」問題でしょうか。進化論か聖書か、いずれか一方が他に勝つのでしょうか。或いは、宇宙誕生にかかわる現代の最先端の科学理論と聖書の宇宙観はどちらかが勝利したのでしょうか。既に創世記は古代人の荒唐無稽な想像に落ち着いたのでしょうか。
――こういった問題にきちんとした見解を持たずして、キリスト教徒は現代社会の中に、力を持って宣教を行って行くことができるでしょうか。
現代の時代状況のもう一つの著しい特徴は、地球が一つの世界になって行く「地球化」の時代に必然的な、多様な他文化・他宗教との出会いです。
キリスト教徒は科学を無視するのでも、敵視するのでもなく、きちんと正視し、互いの折り合いをつけることが今求められていると述べましたが、それはそのままこの他の文化・宗教との関係でも言えるのではないでしょうか。キリスト教徒は他の宗教や文化をどのようなまなざしで見るのでしょうか。過去にはそれはまさに敵視や無視ではなかったでしょうか。しかしそれを今後も引きずって行って、キリスト教徒が現代の中できちんと主・イエスに従う自らの役割を果たすことができるでしょうか。主・イエスはご自身がイスラエル人であるにもかかわらず、「善いイスラエル人の譬え話」(強盗に襲われたサマリア人を親切なイスラエル人が助ける話)ではなく、「善いサマリア人の譬え話」をされたのでした。(――敵をも愛しなさいと教えるためなら、どちらでもよいはずなのに。)それはサマリア人を敵対視して来たイスラエル人の独善と傲慢を打破するためではなかったでしょうか。そうしたからといって、主・イエスはサマリア人の宗教を受け入れられたのでしょうか。そうではなく、サマリア人とその宗教を尊重し、愛の実践に向かって互いに手を取り合って進むよう教えられたのではないでしょうか。私たちが今真剣にこの主・イエスの御教えに従わないなら、キリスト教徒はその独善と傲慢によって浮き上がり、私たちを取り囲む人々から見放され、見限られて行ってしまうでしょう。
ですから、ナザレ研修会が目指すところをもう一度一言で言い表すなら、それは次のようになるでしょう。「ナザレ研修会は、キリスト教(徒)がこれまで無視したり、敵対視して来たものを今後は正視し、主・イエスに従って、それを尊び、それに学ぶことを通して、世界の調和と平和に仕える者とされることを目指す。」
以上のような次第ですから、この研修会は今後以下のような事柄に関してテーマを掲げ、ふさわしい講師を招いて、そのテーマについて学んで行きたいと考えています。
◇旧約聖書や新約聖書の実証的な研究を踏まえながら、なお信仰の書物としてそれを読む道を学ぶ。
◇他宗教や他文化を知り、その中に含まれる宝を受け取って、キリスト教信仰を一層豊かなものに――他者を真に尊び愛すものに――して頂く。
◇科学の先端研究を知り、それが説き明かす真理を受け入れながら、しかもなお信仰の道が可能であることを学ぶ。