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​講義・講演の記録

第4回講義 補遺(思いつくままに順不同)

  • 小林 進
  • 2013年4月5日
  • 読了時間: 5分

今回の講義のテーマは「聖書翻訳-楽しみと困難」であり、当初、日本聖書協会及び聖公会神学院で作成した資料「聖書翻訳で直面する初歩的な問題 旧約篇」(本稿)を使う予定であった。しかしこれは本会の趣旨、わかり易い講義とするには専門的すぎるために、別に新たに補遺を作成して頂きこれを中心に講義して頂いた。したがって、ここには補遺を掲載し、本稿は参考資料として別掲載とした。(運営委員会)

第4回講義

補遺(思いつくままに順不同)

小林 進

これまで行われた講義に限って言えば、対象は旧約聖書が中心であり、次いで新約聖書、必要に迫られてキリスト教史、教理・教義学はあまり大きな位置をしめない。学びの性格としては、(1)歴史への関心(とりわけ旧約聖書の歴史、ユダヤ人の歴史)、(2)言語への関心(古代語;ヘブライ語、ギリシヤ語、日本語、他)、(3)旧約聖書の思想(単純な一枚岩として括れない多様性)、(4)新約聖書と旧約聖書の関係などが考えられる。他方で、経典(正典scripture)或いは教典(教義doctrine)としての聖書をどう理解するかという問題が残っている。言葉の意味、意味の多義的である、翻訳は異なる言語を照合して多義性の中から意味選択する

 翻訳というのはなかなか厄介な問題で、おそらく古くは様々な仏典や儒学書(四書五経)が中国から伝えられた時から日本人の大きな問題であったろうと思われるが、現在では明治に入ってからの近代以降の、主としてヨーロッパを対象としたものが翻訳という問題の枠となっている。最近漢字による文字表現を極力避け、ひらがな(平仮名)によって表現しようとする傾向があるが、これは必ずしも漢字軽視ではなく、大和言葉を表現しようとしたひらがなの伝統に復帰しようという隠れた動機が存在するのではないかとさえ考えられる。また、近代化に伴うカタカナ(片仮名)表記も近代化(西洋化)以降のもう一つの際立った特徴を示している。

翻訳という問題を考えるときの参考として、以下のような文献を紹介しておきたい。他にも数限りなくあるが、比較的読み易い。 言葉の問題 日本語の問題 外国語を何処まで理解できるかという問題(パン[レヘム、アルトス]→ご飯)

  ○加藤周一・丸山真男『翻訳と日本の近代』岩波新書580

明治初期、「一般的に何を訳したか、何を訳す必要があったか」。普仏戦争、南北戦争、クリミヤ戦争情報収集の必要性。「どういう人が訳したか」「なぜ翻訳主義をとったのか」「いかに翻訳したか」「どういう概念をどういうふうに扱ったか」「翻訳主義を明治日本が取ったことの功罪」

  ○小林秀雄「言語の問題」、「国語という大河」、「日本語の不自由さ」

  ○柳父章『翻訳の思想-「自然」とNATURE』平凡社選書54「自然」Nature(【独】Natur) という一語をめ   ぐる森鴎外と巌木善治の論争の例

イチロー 「米国に行ってから、日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。日本語でも自分の感覚や思いを伝えることは困難だと感じている。それが外国語となれば、不可能に等しい。英語で苦労する以前に、僕は日本語で苦労している。」(日経新聞2013年2月13日朝刊、39頁「イチロー惑わず」、)。 

シラ書序言15-26節 翻訳の問題点についての叙述

 「15そこで読者にお願いする。16-17素直な心でこの書物を精読してほしい。 18-20 我々は、懸命に努力したのであるが、上手に翻訳されていない語句もあると思われるので、そのような箇所についてはどうかお許し願いたい。 21-22 というのは、元来ヘブライ語で書かれているものを他の言語に翻訳すると、それは同じ意味合いを持たなくなってしまうからである。23この書物だけでなく、24-25律法の書それ自体と預言書および他の書物でさえも、26いったん翻訳されると、原著に表現されているものと少なからず相違してくるのである。」

以下、聖書翻訳に伴う幾つかの例の提示。

 ○出エ20章5節、申5章9節「(私はあなたの神、主であり、)情熱の神である」エル・カナーalqna。動詞「キーネーqna」to be jeajous / to prove anger / to provoke to jeajousy / to envyの名詞。関連。ヨエル書2章18節の新共同訳「主はご自分の国を強く愛し、その民を深く憐れまれた」。「主はご自分の土地を妬むほどにおもんばかり、その民を深く憐れまれた」。

 ○ヨナ書2章7節の  

の翻訳の問題。文頭の単語は「果、極限」(extremity)「終わり」(end)を意味し、次の「山々」とあわせて考えると、「山々の果」「山々の終わり」。これはどう考えても水平的で、垂直的ではない。新共同訳は「わたしは山々の基まで、地の底まで沈む、地はわたしの上に永久に扉を閉ざす」と訳出する。この節の前までは海の脅威を比喩的に語っており、ここで海から山と地へとの二様の転調があると考えられるので、次のように訳出することも可能。「わたしはまた山々の彼方の陸に下って行ったが、その地は扉をもって長くわたしを閉じこめた。(しかし、わが神、主よ、あなたはわたしの命を滅びから掬い上げて下さった。)」。

○ヨブ記の1章5節、11節「呪う」。原語は「賛美する」「祝福する」のバーラクbrk(ベーラク)が用いられており、これを旧約学者は婉曲法或いは婉曲語法(eupjlemjsm)と呼び、本来は反意語の「呪う」を意味するカーラルqnrキルルー」があてがわれる筈であったと考える。しかし、最近ではこの用語(祝福する)の使用を婉曲語法と見るよりも、あえてこの用語を用いている文意をより積極的読み取ろうとする試みが行われている(並木浩一論文antiphrasisi)

○ヨエル書4章1節に関する新共同訳の翻訳「見よ、ユダとエルサレムの繁栄(シェブース)を回復するその日、その時」。「見よ、囚われの身となった、JとJを元に戻すその日、その時」

数の問題「一人」「大勢」「数人」「幾人」「何人」、allの訳「すべて」「ことごとく」「残らず」/複数と単数の問題/冠詞の問題/人称代名詞の問題(ヘブライ語の人称は、接頭辞、接尾辞となって、動詞と名詞両方に作用、変化する)。また人称の急激な変換。

その他、動物相(fauna)、植物相(flora)、鉱物(mineralogy)の翻訳の難しさ。一例として、ヨエル書のイナゴ/バッタ。ミカ書のジャッカル/キツネなど。

「~のようだ」の訳出如何(Similitude)。「~のように」「~のような」「~に似た」「~にも似た」。文脈による訳の微妙さ。

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