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​講義・講演の記録

第5回講義  旧約聖書における祭司、祭司職、祭司制度

第5回講義

 旧約聖書における祭司、祭司職、祭司制度

               小林 進

       祭司という名詞の語義(セマンティクス)

  祭司はヘブライ語でコーヘンと言います。Benjaminn Davidson, The Analytical Hebrew And Chaldee Lexiconによれば、この名詞は、動詞カーハンを語根とし、通常のカル形(Kal、基本形、能動態、現在完了)では用いられず、強調形であるピエル形(Piel)のキヘーンを基本として用いられ、I.「準備する」(to prepare)、「準備完了」(to make ready)、「調整する」(to adjust)、「飾る」(to adorn)、II.「仕える」(to minister)、「祭司として行為する、職務を執行する」(to act or officiate as a priest)等の意味を持つとされます。またDavidsonは関連動詞としてクーンを挙げ、上記の意味の他にI.「据える」(to set up)、「確かめる」(to confirm)、「設立する」(to establish)などの意味があると示唆します。こうした動詞の意味が、どのような社会的かつ宗教的な脈絡の中で祭司という名詞を生み出したのかについては定かでありません。

   従来の旧約聖書学における祭司へのアプローチあるいは評価

  ところで、一般的に言って、十八世紀の啓蒙運動から近代に至るまでの中で、旧約聖書学或いはその神学が、祭司制度や祭司が生みだしてきた文学作品に与えてきた評価は芳しくありませんでした。特に、神学的にリベラルな旧約聖書学者にとって、レビ記(一部出エジプト記、民数記、エゼキエル書等)に見られるような、詳細を極めて儀式に集中する記述は、他方で預言者の霊的、倫理的な宗教世界と比較すると、霊感に訴える精神性に欠け、極めて退屈そのものに映ったのです。出エジプト記(25章以下)に見られる幕屋建設の事細かな指示、列王記上(7章)やエゼキエル書(40-42章)の神殿建立の際の構造の詳細、創世記に見られる延々と続く系図の羅列、等々も然りです。かのユリウス・ヴェルハウゼン(Julius Wellhausen)はその著Prolegomena zur Geshichte Israels(1883)の中で祭司文学や祭司制に関して次のように言ってのけました。

   天と地の創造者とは、つまらない救済計画のマネージャーに他ならない。生ける

   神は天の王座から降りてきて、律法の道を用意する。律法は至る所で自己を主張

   し、かつ命令するとともに、天に近づくことを妨げる。また同時に、この地上で

   の神の働きを理解するのにある種の限界を設けてしまう。宗教から魂を奪い去り、

   道徳の持つ柔軟性を台無しにしてしまう。神への礼拝というものは、確かに啓示

   されたものではあるが、むしろ人間が自ら執り行う性格へと変貌してしまい、そ

   れによる不自然さは免れない。律法によって規定される礼拝の意義と実行は人間

   の心に訴えかけるものを持たない。律法は実行するということにのみエネルギー

   が費やされるのであって、神にとっても人間にとっても魅力的ではなく、かつ喜

   びをもたらさない。律法は、人間が自ら率先して努力し、それ自身を獲得しよう

   という内的な目標目的を持ちえず、あくまで外面的なものに留まり、それは性格

   上どうしても行ったかどうかに対する報酬ということが付きまとい、奇妙な状況

   を生み出す。

  ヴェルハウゼンによれば、祭司の宗教は、法の遵守を重んじ(ヘブライ語における「守る」[シャーマル]という語彙の頻発)、制限を設けることに熱心(聖と俗、清いものと穢れたもの)で、自主性に欠け(規定への従順)、自発性を閉じこめてしまい、心の宗教であることを損なう(預言者との比較)、と理解されました。この辛辣で雄弁なヴェルハウゼンの教説はヨーロッパのみならず全世界で強い影響を与えました(聖パウロのロマ書2-7章、信仰と律法との関係)。

  祭司制度の身分制や、祭司制度全体が擁した特権の大きさを推測すると、ヴェルハウゼンの考えをある程度首肯させるものが少なくないと言えます。たとえば、祭司に関する規定がどこまでも祭司中心であり、言い換えれば利己主義的な性格を持っており、その典型的なものが「十分の一税」(申命記14章22節以下、アモ4章4節)であり、また犠牲に供された家畜を切り分けて祭司の取り分とする特権などは(出エ29章23節、レビ記7章、14章、22-23章)、ヴェルハウゼンの考えを擁護する例であるとも言えます。尤もよくよく考えてみると、こうした自己保身は、古代旧約の祭司制度にとりわけ特徴的であるという訳ではなく、現代においても熟練した技術を持つ職業、すなわち医療、法律、学問、その他様々な職業領域に見られることでもあります。

   創世記の祭司資料に見られる特徴

  しかし、ヴェルハウゼンに代表されるような、旧約聖書学における祭司への不評は近年徐々に変化を蒙るようになってきました。たとえば、創世記1章における創造物語は旧約聖書学の中では通常祭司資料(P)として分類されますが、仮に今この資料層をそれとして受け取った場合、そこに見られるのは普遍的或いは万人救済的な視点であって、モーセ五書の一角を占める創世記という一書の独特な位置や意義を新たに発見することが出来ます。これは同じモーセ五書でも、非常に愛国的、民族主義的な申命記とは一見して際立った対照を示していると言えます(普遍と特殊の関係)。

   モーセ五書(トーラー、Pentateuch)におけるイスラエルの位置  P資料 

  モーセ五書(モーセ四書Tetrateuch、モーセ六書Hexateuchという学問的見方もある)は、五つの異なる、それぞれが際立った性格から成る文書から構成されており、一巻一巻の成立史は未だ明瞭に突き止められている訳ではありません。しかし、今日の旧約聖書学の主要な潮流の見解としては、現在われわれが手にするモーセ五書という形態は、エルサレムの第二神殿時代(前522/21年頃以降)に活動した祭司(たち)に負う所がほぼ確実で、彼らはイスラエルが世界の中で占める位置(諸民族の一員であり、かつ神との特殊な関係)をよく意識しており、ある意味では筋の通った宇宙論を当時既に持っていたことを示していると考えられています。これは、先に前721年に北イスラエル諸部族がアッシリアによる捕囚に遭い、南ユダも前597年と、前587年の二度にわたってバビロン捕囚を体験し、パレスチナという限定された地域で培ってきた歴史を離れ、世界観が広がったことに起因していると考えてよいでしょう。また、五書の中で、際立ってレビ記に見られる清いものと穢れたものの分類、創世記1章における創造物(被造物)の秩序、更には創世記に散発して見られる人間の身体的同族分類関係、政治的な分類関係、そして生命への敬虔な態度を内包している食物規定などは、すべて祭司の伝統に根差して世界のシステムと秩序を神学化したものであり、それらは先ず神によって創造されたのであると同時に、維持されねばならず、かつ世代を超えて伝達されねばならないものであったと考えられてきたことによります。先のヴェルハウゼンの下した判断とは異なる祭司への肯定的な評価が最近の旧約聖書学に育ってきたからです。

  おそらくモーセ五書を編集する時に、祭司は、様々な規定が同じ期限を持ったものではなく、場合によっては編集時に近い時代の法規定であったことも承知していたと思われますが(規定の内容が一巻一巻によって微妙に異なる事実)、あえてそれらを編集時に一緒にしたのは、法規定というものが、イスラエルの存在の基礎であり、かつ権威のあるものであることを根本に据えようとしたからでしょう。

  もし、モーセ五書という視点のみでなく、モーセ六書という視点を持ち込むなら、ヨシュア記18-19章のシロにおける臨在の幕屋の記述、21章におけるアロンの子祭司エレアザルへの言及、9章「会衆」(新共同訳は「共同体」エーダー)という用語の使用などは、祭司資料(P)の可能性が強く、これについてはバビロン捕囚から帰還した後のエルサレムの第二神殿の状況を反映していると考える学者が少なくありません。

   多様な聖所とその宗教事情

  少なくとも申命記史家(Deuteronomist 申命記の思想の影響下にある歴史家)による歴史記述を読む限り、王国時代の代表的な聖所、すなわちエルサレム、べテル、ダンの他にも、シロ(サム上1-3章)、シケム(士8-9章)、ベエルシバ(アモ8章14節)、ギべオン(列王上3章4節)、ギルガル(アモ4章4節、5章5節)等があり、その他にも屋外の礼拝所、高き所(バモース)と呼ばれる礼拝所がありました。これらの記述を表面的に読んだ限りでは、いずれの聖所ももっぱらヤハウェ神のみの礼拝が行われていたという印象を受けますが、考古学の成果を援用すると、何とヤハウェは独身の神ではなく、伴侶としての女神、たとえばアシェラーを伴い、たといイスラエル=ユダ王国では公的には女神崇拝が禁止されていたとしても、民衆の間ではそれが根強く残っていたことが明らかとなります。われわれの旧約聖書は考古学の成果と比較すると、かなりセンサーシップ(検閲)を受けた後の編集による作品であることが窺われる訳です。このあたりの事情をウイリアム・G・デヴァー(William G. Dever)の研究がよく指摘しています。

   初期のイスラエル宗教は、後期青銅器時代(前1550-1200年)と初期鉄器時代

   (前1150-950年)のカナンの豊穣宗教の中でゆっくりと発展するのであって、

   その中で王朝成立と祭司制度による祭儀の確立、並びにエルサレムの神殿神学が

   やがて成長してくるとしても、地方で行われた祭儀は相変わらずのにぎわいを続

   け、そのうちの少なからずの祭儀はヤハウェ神と異教の祭儀がブレンドされた混

   成的なもので(syncretic)、それは王国時代の終わりまで命脈を保った。申命記

   や祭司文学に見られる「標準的ユダヤ教」というのはユダ王国時代後期の作品、

   とりわけ捕囚期の作品なのである。こうしたことを伝える資料は少なく、モーセ

   五書や「前の預言者」(ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記)に散見される

   間接的な言及が僅かばかり有って、考古学によって発掘された具体的な遺物がこれ

   に証言を添える。

  以前から知られていたことであるが、シリアのウガリットという地で発見された楔形文字の解読から、カナン神話のかなりの部分が知られるようになっており、ヘブライ語で神を表わす用語の一つ「エル」はウガリット神話では歳をとった父のような首神の固有名詞であり、ヘブライ語はおそらくその名残を止めています。「全能の神」と訳される「エル・シャダイ」(創28章3節)と言う表現は本来「全能のエル」という意味で固有名詞的な表現であったかもしれません。

  また国家形成以前にヤハウェ神とは別に、既に地方聖所の宗教的伝承というものがあって、たとえばべテル(このヘブライ語は、「ベイト・エル」で、ベイトは「家」、エルは「神」で、その意味は「神の家」。同様の例としてベツレヘムはヘブライ語で「ベイト・レヘム」で、?ヘムは「パン」であり、そこからベツレヘムは「パンの家」の意)などは、ヤコブが石の上で寝た際に見た夢が、御使いたちが上り下りする天に繋がる梯子であったという所から、石を記念碑として建て、神の家(ベイト・エル)という地名の原因譚となっていったことが想定されます。創世記28章19節によれば、べテルは以前「ルズ」と呼ばれていたのです。

       旧約聖書における祭司、祭司職、祭司制度   

  旧約聖書において祭司、祭司職、祭司制度はどうなっていたかという問いの背景には、出来るならば、キリスト教の聖職制度の源流を歴史的に遡ろうという動機が存在するからでしょう。キリスト教がユダヤ教から生まれてきたことを考えると、ユダヤ教の祭司制度こそがキリスト教の祭司制度の雛形を提供したと考えるのが当然だからです。しかし、最初に申し上げたように、ここでもまたもう一度想起したいのですが、イエスは祭司ではなかったということ、イエスが対立した相手には、パリサイ派、サドカイ派、ヘロデ党、そしてユダヤ人(群衆)に加えて、エルサレムの祭司集団(おそらく門閥)がいたということです。われわれがイエスの祭司性を当然とする思考は、あくまで歴史の進展と共に培われたキリスト教神学の一端に過ぎないということです。福音書によれば、イエスを「預言者だ!」と見なした群衆の確信や期待感があったことはよく知られていますが、イエスを「祭司だ!」と考えた群衆は当然のことながら存在しなかったのです。これは銘記しておくべき重要な点です。

  以下、「旧約聖書における祭司、祭司職、祭司制度」についてお話しますが、断っておきたいのは、これは小林の解釈ではなく(整理も解釈のうちの一つとするならば、いくらか小林の解釈も入るが)、あくまで旧約聖書自体は何を証言するかに焦点を合わせているという点です。その際、「祭司とは何か」、「祭司職とは何か」、「祭司制度とは何か」などの問題を厳密に分類してお話することは、それぞれの問題が互いに重なり合っていることから、不可能なので、読者の理解に委ねたいと思います。また旧約聖書のすべてを網羅することも時間的、能力的な制約があって不可能なので、詩編は除外し、主だった旧約聖書の個所を取り上げることで、この課題をお話する責任の一端を全うしたいと思います。

  結論を先に申し上げれば、旧約聖書においては祭司と祭司職が、従って祭司制度が、イスラエルとユダの歴史を通して決して一枚岩ではなかったことを強く記憶しておくべきです。これはわれわれが祭司の問題を源流に遡って探究するという動機に対して冷や水を浴びせられる恰好になります。なぜなら、源流に遡るという動機は「確かなものを手に入れたい」という動機でもあるからです。しかし、あらゆる領域の問題がそうであるように、源流とか起源というのはわれわれが考えるほど単純ではなく、むしろ複合的で複雑な事情が逆に見えてくるのです。過去二十年ほど「イスラエルの起源」を探求するのが旧約聖書学の主要な潮流の一つでしたが、二十年たった今、頓挫はしないまでも、ある種の袋小路(impasse)に入ってしまったように見受けられます。この国の民族起源、卑弥呼の倭の国の同定など、いずれも源流や起源を探索することの難しさを語っています。(以下、口調を論文調に切り替えます)

レビ記  

  レビ記という一巻は祭司文書のいわば頂点を形成する。その内容は祭儀における祭司の責任、役割、とりわけ犠牲制度に関わることを伝える。祭司による犠牲獣の血を注ぐこと、犠牲獣の各部分を焼くことなど、祭壇に関わる行為が記されている(レビ1-7章、21‐22章)。大祭司が中心的な役割を果たす贖罪日(the Day of Atonement、ヘブライ語ではヨム・キップールYom Kippur)の執行の記述も興味深い(16章)。清いものと穢れたものの判決、決定をするのも祭司のつとめであった(11-15章)。とりわけ、らい病に関しての判断、判定(13-14章)。一般的にだが、祭司制度としては、アロン系の「祭司」とレビ人を区分けしている。

民数記

  これが民数記になると両者の区分けは明瞭で、レビ人は下級聖職であり、その仕事として、荒野の脈絡における幕屋の組立て(神殿建造)、祭儀における小間使いなどが宛がわれる(民1章47-53節、4章)。レビ人はアロンとその祭司たちに仕えるために、イスラエルの初子に代わって建てられた(3章6-12節)。祭司だけが祭壇で務めを果たすことが認められ、レビ人は犠牲獣の一部や初穂の取り分、またレビ人のために与えられる「十分の一」(tithe、マアセール)を自らの収入とする(17章5節、18章)。かくして、民数記によれば、レビ人は人々からの十分の一を取り分としたが、そのまた十分の一は祭司が取った(18章21-32節)。

  レビ人の上に立つ祭司の特権はコラの物語によって説明されているが、それによれば、コラは祭司制度を民主化(平等化)しようとした(16章、読むべし!)。(このコラという名前については、間接的だが、詩編42-49編、84-85編、87-88編の「コラの子の詩」に注意すべきかもしれない)。この企てにルベン族も加担したことが語られるが、その言わんとするところは、レビ人が自分たちの役割に満足せず、祭司の役割も取ろうとした(奪還?)した点にある(16章8-11節)。考えられることは、コラに代表されるレビ人は本来祭司職を十全に果たした歴史を持っていたかもしれないという点である。申命記の記述は、そのことを裏付ける証言である。いずれにせよ、民数記の中では、コラたちが超自然的に殺されたという記述は、こうした祭司制度の民主化という考えを持つ者に対して神がよくよく考えた上での審判である、という主張が見え隠れする。筆者は、レビ人の下級祭司への序列化は、北王国崩壊によって職を失ったレビ人がユダ王国のエルサレム神殿に職を求めた際の措置に起因すると考えている(良きサマリア人のたとえの組立て)。

  通常の祭司の役割に加えて、民数記は祭司の別の義務に言及する。ヌンの子ヨシュアはアロンの子、祭司エレアザルのもとに行くよう告げられ、ウリムによってヨシュアとイスラエルの全ての者が「出て行って(出陣し)、帰ってくること(引き揚げる)」についての神の判断を求める。祭司は軍事行動の際、「聖なる祭具」(ケーレー ハコーデシュ、犠牲のため?或いはウリムとトンミム?)と「角笛」(テルーアー、戦意の鼓舞?命令伝達?)を携えて、行動を共にした(31章6節)。祭司は戦利品の分配を助け、自らもその分け前に与った(31章25-30節)。大祭司ないしは祭司の長(ハコーヘン ハガドール)が存在したことは、殺人を犯した者が逃れの町に逃げ込んだ際、大祭司が死ぬまでそこに留まらねばならないとされることから示される(35章25節、28節、32節)。民数記ではアロンという人物像は、荒野放浪という脈絡の中で、大祭司の職務を知る重要なモデルを提供するが、民数記が書かれた時代は荒野放浪の脈絡ではないことは明らかで、それがいつの時代かを特定することは難しい。

申命記

  レビ記や民数記の祭司文書とは対照的に、申命記は祭司とレビ人を区別しない。代わって、「レビ人祭司」(申17章9節、ハコーハ―ニーム ハレウィーム)、ないしは「祭司レビの子」(21章5節、31章9節、ハコーハ―ニーム ブネ- レーウィー)と言及される。こうした事情についての説明はまったくなく、むしろ当たり前のように前提とされているが、18章1-8節は、祭司文書と異なる見解を持っていたことを示唆する。それによれば、レビの部族は全体として嗣業としての土地を持たず(持たないから)、祭壇に自分の場所を占め、そこで捧げられるものは報酬として受け取る権利を持つのだ、と。

  また、レビの部族は契約の箱を担ぎ、ヤハウェ神に随行する責任があり、嗣業の土地を持たない(10章8-9節)。この理由から、人々は自分の町の門でレビ人が喜び祝う時、彼らを忘れてはならないと告げられる(12章12節、18-19節、26章11節)。祭りの際の十分の一、ないしは三年目ごとの十分の一の際には、人々はレビ人を覚えておくことが告げられる(14章27節、29節、26章12節)。申命記によれば、レビ人であればすべて、祭壇を取り仕切る権利を持っていると思われ、それを行使するかしないかは彼ら自身の選択にかかっていた。

  レビ人祭司の職務は多様である。祭儀的な義務は当然のことで(10章8-9節、18章6-8節、33章10節)、それには皮膚病の判断、判決を含む(24章8節)。モーセが律法を記すとき、それはレビ人祭司の管理下に置かれ、契約の箱の傍らに置かれ、七年毎に人々にそれを朗読した(31章9-13節、24-26章)。レビ人祭司は普段は律法の教師である(マックス・ヴェーバー『古代ユダヤ教』における「レビ人トーラー」という表現の典拠)。レビ人祭司は「裁判人」でもある。何か事が起き、地方の法廷で解決できない時、当事者たちはヤハウェが選んだ場所に赴き、裁判人ないしはレビ人祭司に訴え出る(17章8-13節、19章17節)。レビ人祭司はあらゆる爭い事と傷害事件(21章5節、ネガというヘブライ語が暴行を意味するかどうかやや不確かではあるが)に関わる責任があったとされる。また彼らは、戦争に際して軍隊に向けて演説し、ヤハウェ神が自分たちと共にいることを語って彼らを勇気づけることを仕事とした。最後に、彼らはウリムとトンミム(占い用の籤)を持っており、それによってヤハウェの意志を人々に伝えた(33章8節)。

士師記17-18章、ミカのレビ人  

  エフライム族の一人、ミカは、銀の像を作り、エフォドとテラフィムを伴って、家の祭儀を行っていた。そこに一人の若いレビ人が加わり、彼の祭司となった。さて、ダン族は土地を求め、探らせるために何人かの人を遣わす。その際、彼らはミカの家で厚遇を受け、自分たちの任務がうまくゆくかどうか、レビ人を通して神の意志を尋ねる。彼らがその計画に成功して後にライシ(後の北方ダン)に移住すると、このレビ人に祭司になる機会を与え、彼はそれを受ける。この時点で、そのレビ人はモーセの孫でゲルショムの子であるヨナタンという人物であることが判明する(士18章30節)。しかし、伝えられたマソラ・テキストでは、ヘブライ語のモーセ(mshh)という文字に「ヌン」(n)が添えられ、マナセ(mnshh)と読むよう変更が加えられている。問題は、このnというヘブライ文字はモーセという文字のラインの上の部分に添えられたものであって、オリジナルな文字は「モーセ」であることを隠蔽しておらず、ヘブライ語聖書を伝えた書記による付加であることをいわば忠実に伝えている(新共同訳参照)。かくして、この異教の祭司がモーセの末裔であるというだけでなく、彼の先祖がゲルショムであるとされる。これは旧約聖書に中では、モーセをめぐる明らかに異なる伝承であって、厄介でもある。だとすると、モーセが本来は祭司であったという伝承の残滓(ざんし)である可能性があり、ここ以外は旧約聖書の何処にも見られない独特な証言ということになる。マソラ・テキストを伝承する間に、ある一人の書記が「モーセ」を「マナセ」に変更しようとしたとて、驚くにはあたらない。祭司制度ないしは祭司伝承の多様性を垣間見るとともに、完全な変更を加えずにテキストを伝承したという事実に驚くべきか。

サムエル記 サムエル   

  サムエルはエフライム族の一員として生を享ける(サム上1章1節)。祭司一族の出でではないが、母の献身でシロの聖所に送られ、大祭司エリに仕える。未だ若者の頃、まだ「幻」(ハーゾーン)がイスラエルになかった時代、枕元に立ったヤハウェからエリ一族の将来の運命について聞かされる(3章1-14節)。彼は「神の人」と呼ばれ先見者、預言者、そして祭司の機能を果たす。こうした能力をもって、べテル、ギルガル、ミズパ、ラマを巡回する(7章13-14節)。彼は祭司としての役割を果たすだけでなく、裁判人としての働きと、サウルに乞われて預言者的な働きもなす(9章3-20節)。ヤハウェの命令により、彼はサウロに油を注ぎ、王とする(10章1節)。サムエルはサウロに助言し続けるが、サウロは時に尋常ならざることをしでかすことが少なくなかった(13章、15章)。サムエルの多様な働きは興味深い例を示し、一人の宗教的人物が、その時々に数ある仕事の中から何をするか、ということを見せる好例である。

サムエル記 ツァドクとアビアタル  

  ツァドクとアビアタルはダビデ治世下の祭司の長として、ある種のデュエット、ないしは双璧を成す(サム下17章15節、19章12節、20章25節)。ツァドクは系図なしに突然ダビデの時代に現れてくる(サム下8章17節、「ツァドクとアビアタル、アビアタルはアヒトブの子アヒメレクの子」と読むべき)。祭司は通常系譜を非常に重んじるので、ツァドクに関するこの沈黙は珍しく、その理由がどこにあるのか学者の関心を惹いた。

  但し、歴代誌家はツァドクはアロンの系譜に属するものと承知していた(代上5章34節)。すなわち、歴代誌家以前か歴代誌家によって、ツァドクの系図は既に創作されていた!

  ダビデがエルサレムのエブス人アラウナの麦打ち場を買い取った時に、そこに既に存在したエブス人のエル・エルヨーンの祭儀とツァドクに代表される祭司制度を引き継いだのではないかというヴェルハウゼン以来の考えは今日でも一つの仮説として支持者がいる。つまりツァドクは異教の祭儀出身ということになる。或いはまた、創世記におけるサレムの王メルキゼデク(14章17-20節)との関連で、エレサレムと関係する人物がツェデク(「義」の意、ないしは神名)の名を冠していることから(アドニゼデク、ヨシ10章1節、3節)、ザドクもその系譜に属するという推測もある。いずれにしても、ツァドク以前に遡ってその系譜を決定することは難しく、かつ系譜の創作がイスラエルのみならず、古代オリエント世界では稀ではなかったという学者の指摘もある。わが国における権力者の系図作成(豊臣秀吉の源氏系譜、足利氏の系譜作成事業)の例。

  祭司アビアタルはダビデの子アブサロムの叛乱の際にはダビデを支持したが、アドニヤの謀反の時に彼に組したので、ダビデによって退けられる。従ってエルサレムの祭司制度はツァドクの家系が祭事を取り仕切ったと思われる。ツァドクは大祭司という称号を持っていないが、「ザ祭司」(ハコーヘン)と呼ばれることから、大祭司の職にあったことが一応推測される。彼の子、アザリアはソロモンの時代には大祭司であった(王上4章2節)。

列王記下  大祭司ヨヤダ

  大祭司ヨヤダ。イエフの革命、粛清時までのおけるバアル崇拝の隆盛があった。大祭司ヨヤダは王ヨアシの教育に熱心であったとされる。しかし歴代誌下によればヨアシュはヨヤダ死後、その子ゼカルヤを殺害する。果たして大祭司ヨヤダはツァドクの系譜に属したのかどうか定かではない。またその子ゼカルヤの殺害は祭司の系譜にどのように影響したのであろうか。

エズラ記、ネヘミヤ記   

  エズラ記、ネヘミヤ記によると、これらの書はペルシャ時代のユダ行政管区における事情を反映し、総督はいたが、大祭司がかなり大きな役割を果たしたことを伝える。エズラ記2章とネヘミヤ記7章はレビ人、歌い手、門の守衛、神殿要員、そして祭司など様々な祭儀要員に言及する。ここでもレビ人と祭司は区別されている。エズラ記では、大祭司ヨシュアは総督ゼルバベルと共に両頭政治を行いながら、祭儀と神殿の再興に尽くす。彼を他の祭司が助け(3章2節)、神殿の基礎が置かれた時、祭司は角笛を吹き、アサフの子らのレビ人は讃美の歌を歌う。

  祭司であり、書記官であるエズラは、アロンの系譜に属する重要な人物。律法を朗読するという職務を担った(ネヘミヤ記8章)。彼は、イスラエル人と異民族の娘との結婚を禁止するが、それらの中には祭司とレビ人も含まれていた(10章18-23節)。

歴代誌上下   

  歴代誌によれば、ダビデによって祭司制度が持ち込まれ、ソロモンの神殿建立に道を供えたとする。この書の興味深い点は、モーセ五書や申命記歴史書には殆ど見られない歌唱や音楽に言及することであり、レビ人と祭儀預言者の結び付きを示唆する(代上25章、代下20章14-17節[4節、6節])。歴代誌は、祭司による裁きや教育を強調する。代下15章3節は、アサ王の時代にイスラエルは長いこと真の神を持たず、教える祭司を持たず、教え(トーラー)を持たなかったと述べる。代下19章5-11節によれば、ヨシャファト王はレビ人と祭司をユダの裁き人の中に加えたとする。大祭司アマリアは神事に関わる判断全体の責任者で、レビ人の役人がこれを助ける(代下19章11節、代上23章4節も参照)。レビ人はまた書記官のつとめも果たした(代下34章13節、代上26章29節も参照)。

  歴代誌の記述をどう評価するかは難しいが、最近の旧約聖書学では、歴代誌の記述は第二神殿時代前(522/21年頃以降)に行われた慣行慣習に関わるのではないかという説明がなされている。

エレミヤ書   

  エレミヤ書はしばしば祭司と共に、王、預言者、そして民衆を引き合いに出し、社会全体の繋がりを語ろうとする(4章9節、8章1-2節、13章13節、29章1節、32章32節、34章19節)。勿論、祭司は預言者と共に精神的指導者として言及されるが、しばしば非難される(5章31節、6章13-14節、8章10-11節、14章18節)。エレミヤ自身がアナトテの祭司であった(1章1節)。エレミヤが祭壇で祭司として仕えたことは一度も語られないが、祭司とエレサレム神殿は彼にとって重要で、しばしば神殿領域で活動し、ある祭司たちは彼に対立し、ある祭司たちは彼の支持者であった。たとえば、レカブ人に対し神殿の一室で使信を述べる記事がそうである(35章2-4節)。書記シャパンの子ゲマリアと神殿の一室で書記官バルクがエレミヤの言葉を伝える(36章10節)。一度は祭司と長老の前で象徴的な行為を示し(19章1節)、エルサレムにやって来る礼拝者に説教し(26章2節)、或る時は祭司であり神殿先見者であるパシュルによって鞭打たれる(20章1-2節)。

エゼキエル書   

  エゼキエル自身は祭司であったが(1章3節)、彼の批判は高官、預言者、国の民(民衆)と一緒に祭司にも向けられる(22章23-31節)。40-48章のいわゆる「神殿の幻」と呼ばれる個所で祭司への興味深い言及がなされる。すなわち、祭司は二つのカテゴリーに分類されている。祭壇で奉仕できるのはザドクの子孫のみで(40章45-46節)、彼らはザドクの子孫である「レビ人祭司」(ハコーハ―ニーム ハレーウィイーム、hakkohanim haleuiyyim)と呼ばれる(43章19節)。(歴代誌ではツァドクはアロン系の祭司)。ザドクの子孫のレビ人祭司と区別されるのは「レビ人」で、これら両者を区別する理由は、嘗てイスラエルが迷った時、そのイスラエルにレビ人全体が従ったためで、レビ人はその罰として神殿で小間使いの仕事をするのである(44章10-14節)民数記によるレビ人の位置づけの理由とは異なるが、レビ人が下級祭司であることは共通し、申命記の「レビ人祭司」ともやや異なる位置づけを示す(祭司伝承の多様性)。このエゼキエルにおけるレビ人の役割は、見張り人、門の守衛、犠牲獣を屠り、人々に奉仕する(46章21-24節)。しかし、実際の供物行為(offering)そのものには関わらなかった。というのも、エゼキエル書では、レビ人は祭壇で働くことを許されていなかったからである。また、祭司たちとは異なる住居空間で暮らしたという(45章3-5節)。

  ザドクの子孫のレビ人祭司だけが神殿に入ることを許され、祭壇で犠牲獣の脂肪を焼き、血をそこで注ぐことが出来た(44章15-31節)。彼らは亜麻布で織った特別な祭司服を着、頭を剃らず、至聖所に入る時はぶどう酒を飲まず、もっぱらイスラエルの処女か祭司の寡婦と結婚した。聖所の務めに加えて、聖と俗、清いものと汚れたものを評決、宣言する。爭い事が起きると裁判人としての働きをした。集会においては律法(複数形のトーロース)と掟を守る者としての役割を果たし、安息日を聖として守った(出エジプト記と申命記における十戒の安息日規定の相違と、他の旧約文書に見られる安息日の歴史変遷の緩やかな概観については、小林進『旧約つれづれ』を参照)。彼ら(祭司)は嗣業の土地を持たないので、犠牲獣の一部と、初穂、聖なる捧げ物を自分のものとした。神殿内に一室を持ち、これらの奉げ物を調理して食した。

  エゼキエル書は、当時のある人物が祭司の組織をどう見ていたかを示す興味深い証言である。多くの学者はしかし、40-48章は理論的(理想的)な作品であって、必ずしも現実に即している訳ではないと判断する。しかし、祭司制度の内部に緊張関係が存在し、それによる行動規定(制限、権利、権威、)があったことを少なくとも反映させているという点で重要である。

ホセア書  

  べテルの祭司との対立(10章5節)。祭司たちの居る場所としてのタボル(5章1-2節)。祭司と預言者に対する非難を行う(4章4-6節)。祭司と王朝こそ民の振舞いの良し悪しの責任者(5章1-2節)。祭司の悪行はギレアドではあたかも人殺しの盗賊である(6章9節)。10章5節で使われる祭司という用語は「ケーマーリーム」で、本来異国の祭司に当てて使われるもので、べテルの聖所が対象になってこの用語が使われているということは、異国の祭司と異国の祭儀を交えた祭司団がべテルで一緒に働いていたのかもしれず、北王国のある種の宗教事情をうかがわせる。

アモス書   

  べテルの祭司アマツヤの姿。王の管理下にある祭司。家庭人。妻子持ち。

       まとめ 祭司の職務   

1.まず、祭司のつとめとしては祭儀を行うことである。日々の奉献と、安息日や祝祭の特別の機会の奉献等々。個人による罪、穢れ、誓い、感謝などの機会になされる奉献との関わりもまた祭司のつとめであった。旧約の様々なテキストは誰が祭壇を仕切るか異なった事情を伝えるが、第二神殿以後は、アロン系の祭司のみがその資格を持つとされるようになった。ペルシャ時代には24組の祭司団が毎年二週間ずつ祭壇に仕えるよう組織された。聖と俗、清いものと汚れたものの判断、評決、宣言。法や規定の管理と教育など。

2.レビ人は、複雑な歴史を背負った神殿(聖所)要員で、祭儀がスムースになされるために、供給、保管、清掃、補修、安全管理などの責任を負った。

3.ある人びとは歌唱や楽器に携わった。歌を歌ったり、讃美したりすることが神殿礼拝(聖所)で重要な位置を担ったであろうことは十分に推測できるが、定かなことは分からない。

こうした仕事の責任を負った人々は少なくとも第二神殿時代には見出すことが出来る。彼らは本来「祭儀預言者」の子孫、ないしは伝統に属する人々であったという議論がなされてきたが、そうだとすると第一神殿が建立された頃から存在したということになる。

4.王国初期の時代には、ウリムやトンミム、エフォデなどが肯定的に言及され、祭司による占いの機能がなされたことを窺わせる。

5.幾つかのテキストは祭司を裁判人として描く。単に祭儀だけでなく、世俗の爭い事にも関わっていたことを示す。しかし、他面で、これはペルシャ時代に王を中心とする国家行政、立法、司法がなくなった時代の反映でもあるという可能性もある。

6.祭司が祭壇で奉仕する義務から解放された時間には、自分たちの伝承(祭司的、国家的、部族的)を学び、教え、研究し、そしてそれらを守って保管した。こうしたことの主要な関心は、祭儀であり、祭司の伝統であったであろうが、それに制限されず、宇宙論、自然界、芸術にも祭司の関心が向けられた。様々な方面の関心を祭司は持ったであろう。

7.こうして、祭司の責務は、占い者や賢者、知恵者とオーバーラップするとともに、少なからぬ預言者が祭司であったことが知られている(エレミヤ、エゼキエル)。社会学的な視点から、理念型(Idealtypus)として祭司、預言者、占い師などを別々に論ずることは可能だが、実際のイスラエル社会では、彼らは必ずしも一つの仕事、一つの職務という境界をはっきり持った別々の人物ではなく、幾つもの性格を共有していたのである。

                              以上

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