第17回講義 二人の女傑または淑女 ールツとエステルー
第17回講義
二人の女傑または淑女 ールツとエステルー ナザレ研修会 第17回 2015年12月5日 ナザレ修女会於 小林進 今日の勉強会で記憶していてほしいいくつかのポイント ○旧約聖書の二つの聖書の存在 ヘブライ語聖書(マソラ・テキストM) ●通常、原典と言われるが、事実は唯一の原典ではなく、数ある原典の一つ。 ●しかし、ユダヤ教の中では唯一権威ある原典であり、従って正典と認められたもの。 ●数ある原典という表現には、ヘブライ語のクムラン写本、サマリヤ五書、そして下記のギリシャ語訳聖書も含む。ギリシャ語訳聖書からヘブライ語を再翻訳すると、マソラ・テキストとは異なるヘブライ語が現れてくる。 ギリシャ語訳聖書(七十人訳聖書LXX) ○ギリシャ語訳聖書である七十人訳聖書の原本はあるヘブライ語聖書であった ○しかし、、ギリシャ語聖書の原本であるヘブライ語聖書と、ヘブライ語聖書であるマソラ・テキストとは必ずしも同じでない 辞書によれば、女傑とは「しっかりした気性と優れた知恵をもち、実行力に富んだ女性。女丈夫じょじょうふ(じょじょうふ)」とある。また淑女とは「しとやかで上品な女性。品格の高い女性」と言われる。女傑も淑女も、ここではルツ記とエステル記に見られる二人の女性を理解するために便宜的に選んだ用語であるが、果たして、それぞれの一巻で描かれる二人の人物像と状況とはどのように理解されるのであろうか。 その際、非常に重要なアプローチの視点は、普段あまり気付くこともないのであるが、この二巻が旧約聖書正典の中でどういう順序で置かれているかという点である。すなわち、旧約聖書のギリシャ語訳である七十人訳聖書(セプトゥアギント、LXX)の順序に従って二巻を理解するか、あるいはヘブライ語聖書(マソラ・テキスト、M)の順序に従って理解するかによって、その方向が大きく異なるという点である。 七十人訳聖書では、ルツ記は士師記とサムエル記の間にあって、サムエル記におけるダビデの出自(祖先)を少し遡って説明するという役割を担っている。また、エステル記は歴代誌におけるバビロン帝国の終焉とのペルシャ帝国台頭、次いでペルシャ王キュロスの勅令(前538年)によるユダヤ人のエルサレム帰還を描くエズラ記、更にペルシャ王アルタクセルクセスの治世7年から32年(前465-424年)におけるエズラとネヘミヤの帰還および第二神殿の完成を描くエズラ記7章=ネヘミヤ記13章の後に置かれる。エステル記が描く物語は、アルタクセルクセス王の先王クセルクセス王(別名アハシュエルス王、前485-465年)の時代であって、エズラ記、ネヘミヤ記と共にペルシャ時代の出来事を語るという役割を担う。但し、フラヴィウス・ヨセフスの伝える聖書構成の順番は、エステル記をエズラ、ネヘミヤの前に置く。これを推測するにエステルの従弟で後見人であるモルデカイがバビロン王ネブカドネツアァルによって捕囚に遭った(前597年?前587年)という報告(2章6節)を考慮して、エズラ、ネヘミヤの前に置かれるようになったためだと思われる。しかし、これはモルデカイを百歳の長老とすることであって、年代的なアナクロニズムがみられる。 ルツ記とエステル記を含む七十人訳の配置は、鳥瞰図的に見れば、、創世記から始まった天地創造から世界の歴史がペルシャ時代までの射程(期限、範囲)で描かれるよう意図され、配置されたことを物語る。ペルシャ帝国に続く、アレキサンダー大王の帝国樹立(イッソスの戦い、前333年)と彼の死(前323年)による帝国の四分割(リシュマコス王国=ギリシャ・マケドニア・トラキア、アンティゴノス王国=小アジア、セレウコス王国=シリア・バビロン、プトレマイオス王国=エジプト)、とりわけマグネシアの戦い(現トルコ、前190年)でセレウコス朝のアンティコス三世を打ち破ったローマが台頭してくるまでのエジプトのプトレマイオス朝とシリアのセレウコス朝の前4-2世紀については、バビロン捕囚後の前5世紀を含めて、旧約聖書はほとんど何も語らない。僅かに、マカバイ記がその役割を果たすが、ユダヤ教(マソラ・テキスト)は(意図的に?)マカバイ記を正典に加えず、イエスの時代への連続を断ち切る。 他方、紀元後の早い時期に七十人訳聖書を放棄したユダヤ教のヘブライ語聖書によれば、ルツ記は箴言と雅歌の間に、エステル記は哀歌とダニエル書の間にそれぞれ置かれることになる。このヘブライ語聖書の順番に従うと、ルツ記もエステル記も、七十人訳聖書が意図する「歴史的順序」の脈絡を全く喪失することになる。(ヘブライ語聖書と七十人訳の各巻の異同については2013年2月9日の第三回ナザレ研修会のレジメ「後ろから読む旧約聖書」を参照(ナザレ研修会のホームページ)。 七十人訳聖書のルツ記・エステル記と、ヘブライ語のルツ記・エステル記との間には本文の多少の異同があるが、基本的には同じである。この勉強会ではわれわれの関心は主に七十人訳に向けられる。 一般化していえば、ルツ記という一巻は、ルツという一女性がモアブ人である自分のアイデンティティー(自己同一性)を離れて、ナオミという姑と共同してユダヤ人になろうとする「ユダヤ化」(Jewishzation)への変換ないしは移行の物語である。このための典型的な表現が1章16-17節に見られ、ルツとルツ記を理解する上での一つの重要な契機を提供している。 あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。 わたしは、あなたの行かれる所に行き、お泊りになる所に泊まります。 あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。 あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。 この物語に込められた意図の一つとして、外国人のユダヤ化をどう受け止めるかという作者の外国人「受容」の問題意識が前面に出ているが、同時に外国のモアブ人ルツがダビデ王の祖父に当たるオべドを産む(ルツ記4章17節)という展開は何を孕んでいるのであろうか。更に、ルツのこの出産を、4章12節では「タマルがユダのために産んだペレツの家のように」と擬えているが、これは明らかに創世記38章の記事との結び付きを示すものであり、この関連をどう読み取るかという興味深い問題が横たわる。 他方、エステル記は、何よりもまず、エステルという女性が外国の地にあって(ペルシャ)、ユダヤ人の宗教的=政治的危難に際し、従弟であり後見人でもあるモルデカイと共同してユダヤ人の解放と救済を実現し、ユダヤ人であるアイデンティティーを存続させたという意図を持った物語である。しかし同時にエステル記では、ユダヤ人に事態が好転した後で、ニュアンスを異にするが、ルツ記と共通する「ユダヤ化」が8章17節で語られる。 その地の民族にもユダヤ人になろうとする者が多く出た。ユダヤ人に対する恐れに襲われたからである。 ルツ記のルツの場合はあくまで一人の外国人ルツのユダヤ化であるが、エステル記では大勢の外国人によるユダヤ化が語られる。だが、ルツ記の場合は、ルツのユダヤ人化が、ダビデの特殊ユダヤ人化を内から非特殊化するという効果を持つ。これはエステル記には見られないものである。 ルツ記 一方で、ルツ記という一巻は、ルツという気性のしっかりした、独立心の強い女性を主人公にして、あくまで自分の意思で姑ナオミとの絆を保ちながら、未来を拓こうとした物語、と理解するのが適切なのか。最近の女性解放論者(feminist reading)の解釈にはそうした読み方を好む者が多い。それとも、ルツ記は、男性が支配的な昔の社会を想定して(1章1節「士師が世を治めていたころ」)、男性社会に従属的な役割を担ったルツ(とナオミ)という女性を描こうとしたもので、ナオミの計画とルツの同意・実行も、それが実現するのは、男性ボアズの決断(決意)と実行を待たねばならないならないからである(4章)。ルツという女性に対する理解(解釈)は読み手の置かれた状況に大きく左右されることが窺える。 エステル記 他方、エステル記の物語の筋(plot)にとって重要なモティーフ(基調)はエステルの美貌である。この美貌のゆえに、ユダヤ人存亡の危機に、王の妃として王に影響力を行使することが出来たのである。しかし、エステルの振舞いに影響力を行使するのは、一方でモルデカイであり(2章20節「エステルはモルデカイに命じられていたので、自分の属する民族と親元を明かすことをしなかった。…モルデカイの言葉に従っていた。」)、、他方でクセルクセス王であり、両者とも男性社会(捕囚のユダヤ人社会、ペルシャ世界帝国)を代表する。再び、女性解放論者の中には、ステルによる美貌を利用した王への影響力駆使こそ、エステルが女性として自らの行動のイニシャティブを取った女性であると理解する者もいる。しかし、この理解は女性解放論者でなくともエステルを理解する際の通常の理解であり、女性解放論者が女性の自立を強調するのであれば、むしろクセルクセス王の召喚を拒否した最初の王妃ワシュティにこそその栄誉が与えられるべきだはないのか。女性解放論者の理解は、あくまでエステルのヒロイン性(女性主人公・英雄)にこだわろうとする解釈ではないだろうか。 こうしてみると、女性解放論者はルツ、エステルいずれもを女傑とみなすことに関心を持ち、女性解放論者でない人々は、二巻は両者をどちらかと言えば淑女として描いていると理解する。ルツ記は捕囚後、それも外国人と結婚を雑婚として忌避したエズラ=ネヘミヤの政策と時代風潮が色濃く反映されていることから、それからほど遠くない紀元前4世紀の成立が考えられ、他方エステル記の「プリム祭」はパレスティナの土壌においては紀元前2世紀に遡ることから、同書の成立は紀元前2世紀と推測される。いずれの時代においても、両作品の作者が女性の解放論者であることを期待するのは難しい。 因みに、宗教改革者マルチン・ルッターが食卓に連なった友人、弟子、居候などに語った語録を集めた『テーブル・トーク』(原題 Tischreden)で、第二マカベア書とエステル記に言及した際、「私はこの一巻(=第二マカバイ記)とエステル記が大嫌いである。こういうものが存在しなければよかったとさえ思う。この二巻は極度にユダヤ化を強い、しかも多くの不適切な異教の要素を持っている」と述べている。現代の女性解放論者もそうでない者も、ルッターのこうした判断をどう受け止めるのであろうか。 ルツ記4章12節、18-22節と創世記38章を結ぶ点と線 そして歴代誌2章3-15節 まず創世記37章は、ヨセフが兄弟たちの嫉妬を買い、エジプトに売られて行く話を伝え、39-50章で展開するヤコブとその家族のエジプト滞在物語の最初の導入部分を構成する。これに対して、創世記38章はよく知られているように、ユダと嫁タマルとの間のスキャンダルを通して、ユダにペレツ(出し抜き)とゼラ(真っ赤)という子供が生まれ、ペレツがやがてダビデに至る系譜に貢献したことを述べるものであり、直前の37章から始まったヨセフ物語に割って入るようにしてユダとタマルの物語を挿入する(38章1節「そのころ、ユダは兄弟たちと別れて、アドラム人のヒラという人の近くに天幕を張った」)。物語の形式(narratology)という視点から見ると、創世記38章は39章以後に展開するヤコブ家の若きユダではなく、すでに年を重ねて(祖父)「カナンに落ち着くユダ」を描いており、これは以後に展開するヨセフとヤコブ一家の「エジプト行き」に対する代案(alternative)を提示する。 他方、ルツ記は、「士師が世を治めていたころ」(1章1節)と時代を遙か昔に設置し、主人公ルツをユダの系譜に寄り添わせながら、巻末でペレツからダビデへの系図(4章18-22節、ユダーペレツーラムーアミナダブーナフションーサルマーボアズ)を述べることによって、ヤコブの子らがエジプトから上ってくる出来事を間接的に逸脱(deviation)するのである。ここでもまた、創世記38章同様、ルツ記はやはり出エジプトの出来事なしにカナンの地をそのまま我がものとしたことを述べる。 これは創世記38章もルツ記も、いわばイスラエルの救済史物語(Heilsgeschichte)を転覆させようとするものであり、出エジプトはいらない、モーセもいらない、また救済し物語にまつわる些細なこともいらない、とでも言っているようである。実際エゼキエルなどはモーセのいない出エジプト伝承語っており、聖書は決して一枚岩ではない、という筆者の十f来からの主張を暗示する意図が創世記38章やルツ記に見え隠れする。