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​講義・講演の記録

第18回講義 創世記の世界(1)アブラハム物語-匠の技-

第18回講義

創世記の世界(1)アブラハム物語-匠の技- ナザレ研修会 第18回 2016年2月6日 ナザレ修女会於 小林進

   アブラハム物語を文学技法の観点から読んでみる(chiasmus 交差対句法)    そして幾らかフェミニスト的な視点も加味して         Jonathan Magonet / John Goldingway / Nina Rulon-Miller

 アブラハム物語には交差対句法と呼ばれる文学的な技法が見られる。この技法は、一般読者の目には隠されおり、専門家の洞察によって初めて明らかになる。実際、この技法は旧約聖書の中に少なからず見られるものであるが、通常は比較的纏まった短い章節に限定されており、アブラハム物語のように長い章節にわたる読み物の中でこの技法が発見されるのは稀であると同時に、興味深い。   12章a 召命/ 祝福の約束 (The call; blessing promised)   12章b 異国の地のアブラハム/ 妻=妹モティーフ (Abraham in a foreign land; wife-sister                                        motif)   13-14章 危機に陥ったロト/ ソドム (Lot in danger,; Sodom)   15章 契約 (Covenant)   16章 ハガルとイシマエル (Hagar and Ishmael)   17章 契約 (Covenant)    18-19章 危機に陥ったロト/ ソドム (Lot in danger; Sodom)   20章 異国の地のアブラハム/ 妻=妹モティーフ (Abraham in a foreign land; wife-sister                                        motif)     21章 ハガルとイシマエル (Hagar and Ishmael)   22章 召命/ 祝福の確定 (The call: blessing confirmed)      <この交差対句法に関する指標>      ① 12章a=22章 「行きなさい」(12章1節、21章2節)「レク レカ」(????-????)  この表現は旧約聖書中もっぱらこの箇所のみに見られるもの(hapax legomenon)で、文字通りの意味は「あなたに向かって行きなさい」の意。この稀な表現が12章と22章に用いられることによって、アブラハム物語群(12-22章)を構造的に纏める「枠」を提供している。この表現の布置の発見(看取)はユダヤ教のラビ達によるもので、古くから知られている 「祝福(する)」(べラーカー)という動詞/名詞は、17章16節のサラの祝福にも2回(動詞)見られるが、12章では「祝福する」という動詞が4回、名詞が1回、そして22章では動詞が3回用いられる。前者においては「土地」の付与、「子孫」繁栄が祝福の対象となっており、後者においては「子孫」の繁栄が前面に押し出されるが、暗黙裡に「土地」の付与もその背景を構成している 「召命」(calling, Berufung)という用語そのものは12章にも22章にも見られないが、前者では神の召し出しにより約束された子孫付与と見知らぬ土地へ旅立つものとして「召命」という観念が浮かび上がり、後者においては約束成就の糸口(端緒)となる独り子イサクを奉献として神に差し出すことが再びアブラハムの「召命」を際立たせる。取り分け22章では「召命」という観念は1節の「試された」という言葉によってアブラハムの危機的状況が際立たされるが、12章では見知らぬ土地へ旅立つことによる同じ効果がそっと刷り込まれている   ② 12章b=20章 異国の地のアブラハム/ 妻=妹モティーフ  第二の交差対句法を構成するのは「異国の地のアブラハム」であり、「妻=妹モティーフ」が大きな役割を演ずる。  舞台設定として、12章bはエジプト、20章はゲラルであり、前者はファラオ、後者はアビメレクというそれぞれの権力者がアブラハムの異国の地での滞在に危機を想定させ、アブラハムをして妻のサライ(サラ)を妹と申告させる。但し12章bではサラが実際に妹であったことには沈黙し、20章12節にいたって始めて彼女は妻であるが同時に妹でもあると申告される。アブラハム物語群直前の11章27節以下の系図ではサラがアブラハムの妹であることを示唆する説明は一切ない  サラがアブラハムの妻であることが発覚するのは、12章では神によってファラオの宮廷に病気が発生したことによるのであり、また20章ではアビメレクの夢で神が事実を告げたことによる。  12章bではサラに対するファラオの潔白は確言されないままだが、20章ではアビメレクの潔白が申告される(4節)。これにより、エジプトの権力がパレスチナの一都市国家よりも強大であったことが暗示されている。前者は出エジプト記のモーセとファラオ対決の際の起こった疫病の災いを(9章1-8節)想起させる。しかし12章bと20章がともにサラがアブラハムの妻であることを(ファラオもアビメレクも)知らなかったことで共通する。更に両者とも結果的にアブラハムを富ませる。   ③ 13-14章=18-19章 危機に陥ったロト/ ソドム  13章はロトとアブラハムの別れに言及し、14章は古代近東の広範囲にわたる王たちの戦いの中で(14章1-12節)、捕虜とされたロト(12節)に触れ、この危機に素早く行動するアブラハムによるロト救出(13-16節)が続き、さらに結果としてサレム(エルサレムの別の表記か)の王メルキゼデクによるアブラハムの祝福から語られる。これに対応して、18章-19章は、サラ懐妊の予告をなす三人の人の使者来訪(18章1-15節)が語られ、続いてアブラハムによるソドムの執り成し(16-33節)と、ソドムの滅亡が語られて(19章1-29節)、最後にソドムを脱出したロトと娘たちとの性交によるイスラエル以外の民族誕生の原因譚が語られる。  この第三の交差対句法は詳細においては様々な記事を含むが、これを特徴付けるのはロトという人物と彼が定住の地として自ら選んだ場所(都市)としてのソドムであり、ソドムの邪悪さとロトの無垢が対比されながら物語が展開する。   ④ 15章=17章 契約  15章と17章は、12章や22章のようにアブラハムに対する神の祝福の約束が主要な内容であるが、前者群を更に特長付けるのはこの祝福を堅固なものにするために「契約」(ベリース)が締結される(15章18節、17章2節、4節、7節、9節、10節、11節、13節、14節、19節、21節)という点にある。15章の契約は犠牲獣を捧げる行為によって、17章の契約は割礼によって、それぞれ契約がなされる。とりわけ15章では後のイスラエル(ヘブル?)の四百年にわたるエジプト滞在と脱出が言及される。また15章と17章は、12章と22章同様、子孫の繁栄と土地取得が主要なテーマになっている。   ⑤ 16章 ハガルとイシマエル  12章から22章に至るアブラハム物語群における「交差対句法」(chiasumus)の構造的「中心」を構成するのが、ハガルとイシマエルである。この中心を別の表現で説明しようとすると、「折り返し地点」「分水嶺」「クライマックス(頂点)」などということが出来る。この中心があればこそ、交差対句法もまた有効に機能する。というのも、中心がなければそれらは「二重構造」(duplication)累積で安房ってしまうからである。中心の存在は、いわば、構造にメリハリを持ち込んでいるといえる。  しかし問題は、ハガルとイシマエルが「折り返し地点」「分水嶺」「クライマックス」という重要な場所を占める(占領する)という事態が、「アブラハム物語の進行にとって如何なものか」、という疑念を新たに(即ち、これまで交差対句法を意識しないで読んでいたことに対して)生じさせるのである。 「正統」を受け継ぐべきイサクの誕生は、21章1-8節にまで持ち越され、しかも続く21章9-21節は再びハガルとイシマエルが舞台に登場することになる。上の交差対句法からうかがえるように、ハガルとイシマエルは「中心」を構成しながら、21章で再びハガルとイシマエルが言及されることによって、交差対句法にやや「乱丁・乱調」「歪み」「不規則」「逸れ・反れ」などを加え、「不快さ」を感じさせるほどに、ハガルとイシマエルの重要性を「暗に」指示する機能を果たしている。更に言及しておくべきは、16章の中心はそれだけで(即ち、単独で)放置されずに、他の構成要素と共に、二重構造(duplication)を変調で保持することになる。ハガルとイシマエルの位置の「強化」と理解し得る。  これは、アブラハム=イサクを中心とする読み手の意識や自覚とは別のところで、ハガル=イシマエルがアブラハム物語の梃子(レバー)を握っていることを示す。このハガルとイシマエルが中心を占める「隠れた重要性」は17章19-21節の次の交差対句法にも見て取れる。   19a サラがあなたのために男の子、イサクを生む     19b わたしは彼とわたしの契約を結ぶ   20 しかしわたしはイシマエルを祝福し、子孫を増やす   21a わたしはイサクとわたしの契約を結ぶ   21b サラはあなたのために彼を生む   17章ではサラの懐妊予告がなされ、それによってイサクの誕生(予定)がアブラハム物語の進行にとって重要な構成要素であることは言うまでもない。しかし交差対句法の観点から見ると、またもやイシマエルへの言及が中心を構成している。しかも、重要なのは、19節a‐19節b‐21節a‐21節bが囲むようにしてサラによるイサクの誕生とイサクとの契約を語っているにもかかわらず、20節ではそれを「翻すように」してイシマエルへの祝福が語られる。 この文学的技法の視点からの成果として、何が引き出せるのであろうか。    <対立と連繋> 弾はじきあう事と繋がり合う事  ○ある構造というものは人の意識(無意識)を反映させるか。  ○意識して交差対句法をアブラハム物語に埋め込んだのか、それとも無意識のうちになさ  れたのか(偶然)。   ○無意識のうちに交差対句法を採用することによって、語り手の良心がそっと埋め込まれた  のか。  ○ハガルとイシマエルに対する語り手による疎外の裏に彼の良心が存在したのか。  ○意識的な疎外行為には正統を自負するという心持があるのか。  ○正統を自負する行為には、その対極として異端という考えもあったのか。   ○イシマエルはアブラハムの子であり近親であることには相違ないが、或る近親者を疎外す  ることは必然なのか。  ○構造化とその解体。土台を屋根に持っていくことはないし、屋根を土台にすることもな  い。  ○正常化(ノーマル)と非正常化(アブノーマル)との必然的な対立。  ○同国人と外国人。同国人の高揚と外国人の卑賤。      <語られた事と語られていない事(言われた事と言わずにおいた事)>   ○表した事と隠した事。隠した事はタブー(禁忌)でもある。   ○差別化(ハガル/イシマエル)と特殊化(イサク/イスラエル)。   ○ハガルとイシマエルはアブラハムの物語から徐々に疎外されていく。それは、アブラハム  の正統から逸れる事でもある。  ○アブラハムの正統性はイサクが継ぎ、イサクの正当性はやがてヤコブが継ぐ。イシマエ  ルとエソウはこの正当性から外される。   ○そのイサクは22章で燔祭(焼き尽くす献げ物)の対象となるが、取り分け19節は、アブ  ラハムの帰還が一人であったことを告げる(三人称単数・男性)。これによるイシマエル  との関係における含みはあるのか。  ○ガラテヤ書4章21節以下における聖パウロの解釈がヨーロッパキリスト教に与えた影響。  外国人、奴隷の女、その子ども、という図式。また、ユダヤ人とアラブ人の枠組みに対す  るヨーロッパ人の思考様式に与えた影響も。  ○創世記25章12節以下におけるイシマエルの子孫の記述。

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