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​講義・講演の記録

第20回講義 創世記の世界(3)創世記の由来-エゼキエル書と第二イザヤとの間?-

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  • 2016年6月3日
  • 読了時間: 12分

第20回講義

創世記の世界(3)創世記の由来-エゼキエル書と第二イザヤとの間?-

ナザレ研修会 第20回 2016年6月4日 ナザレ修女会於 小林進

最近の旧約聖書学の動向を踏まえて

 旧約聖書39巻の一巻一巻が「いつ」、「どこで」、「誰によって」、「何のために」書かれたか(伝承されたか)という問題は、すでに触れたように、正確には未だ解明されていない。旧約聖書内の歴史的証言によって(例えば預言書の表題や歴史事件への言及)、その一巻が「いつの時代を指し示しているか」を示唆しているとしても、それが「いつ書かれたか」(どこで、誰によって、何のために)についての正確な証言であるとは断定できないのである。

現今の旧約聖書学では、かつてのような神学的な関心はかなり後退しており、むしろこうした問題を解明しようとするために、歴史学、文献学、文芸学、言語学などの関心が強くなってきている。

 旧約聖書39巻を文学史としてそれぞれを比定しようという試みは、筆者の知る限りドイツ人のヘルマン・グンケル(1862-1932年)を嚆矢とするが、時代的な制約があって、必ずしも成功していない。わが国でで、かなり遅れて関根正雄が最初で最後旧約聖書文学史に挑んでおり、その志には尊いものがあるが、グンケルと同様時代の学問的制約を受けると共に、1970年代から始まった学問の潮流の変化によって、残念ながら見劣りのするものとなっている。

 その潮流の変化とは、一言でいえば、創世記の記述をそのまま歴史資料として使用することはできないという洞察であり、むしろ後代の人の筆による「物語」という性格が強いというものであり、こうした洞察は創世記の研究だけでなく、旧約聖書全体の研究にもその影響が及んでいる。

イスラエル文学史は未だ確定されていないが、創世記の歴的的位置づけを試みる研究に注目してみる

イスラエル文学史の中で創世記の位置づけを試みようとする時、例えばエゼキエル書20章を一つの手掛かりとして、創世記及び出エジプト記と比較すると興味深い。ヤハウェストを著者とするモーセ四書(創世記~民数記、但し、レビ記は除く)は、一方でバビロンの捕囚民(Babylonian Golah)の中で生活していたエゼキエル(とその学派)が抱えた展望と問題に対する一つの対応であり、他方で捕囚の中でヤハウィストはそれまでイスラエルにあった宗教的=歴史的伝承財(伝統)を新たに解釈、拡大して同時代人の第二イザヤに提供した。

 勿論、このことはヤハウェストのみが革新的であるということを意味せず、三者三様にそれぞれ捕囚時代を生きて、思想形成を成し遂げたことを意味する。

エゼキエル  誕生:前623/22(1章1節の「第30年」から推測。召命:前593年で30歳(1章2節の「ヨアキン王の捕囚の第5年」から推測)。新しい神殿の幻:(40-48章)は前572年、51歳の時(40章1節の「われわれが捕囚になってから25年、都は破壊されてから14年目」から推測すると、エゼキエルの誕生から、召命を経て、新しい神殿の幻を見た時期までが前623/22-572年ということになる。

ヤハウィスト 彼の活動時期を性格に確定することは出来ない。但し、エゼキエルと比較して創世記、出エジプト記を読むと、エゼキエルの思想をとり上げて(エゼキエルのみではなく、申命記なども眼前において)、それに創意工夫を加えて、イスラエルの起源と人類の初めを一神教的な視点から(唯一神教monotheisum、拝一神教monolatry)記述したことが読み取れる(読み取らなければならない、読み取るべき、読み取れるかもしれない)。

また、第二イザヤに見られる創造者としての神観、或いはすべて諸国民を含めた世界観などはヤハウィストからの影響と見ることが出来る。

第二イザヤ  正確な活動時期は明らかでない。但し、彼の使信の中には前597年のユダ第一次捕囚、前587年の第二次捕囚(ユダ崩壊)と、ペルシャ帝国創建の父キュロス王(前550-529年)によるバビロン征服(538年)への言及がないことから、おおよそ前550-538年を活動時期とする。

比較のための糸口

エゼキエル書20章(読む)のポイント(エレミヤ書2章も参照)、創世記と出エジプト記との関連で

1.最初の神の啓示は民に直接なされ、モーセを通して行われない! モーセの不在!「わたしがイスラエルを選んだ日に、わたしはヤコブの家の子孫に誓い、エジプトの地で彼らにわたしを知らせたとき、わたしはお前たちの神、主であると言った」(エゼ20:5)。

2.土地の約束も族長たちへの約束に基づくのではなく、エジプトにおける民に初めて語られる。「その日、わたしは彼らに誓い、わたしは彼らをエジプトの地から連れ出して、彼らのために探し求めた土地、乳と蜜の流れる地、すべての国々の中で最も美しい土地に導く、と言った」(6節)。

3.民はすでにエジプトで異邦の神々を崇拝しており、これによりこれから辿る荒野での生活で自分たちの存在が脅かされる(10-26節)。

「わたしはまた、彼らに言った。『おのおの目の前にある憎むべきものを投げ捨てよ。エジプトの偶像によって自分を汚してはならない。わたしはお前たちの神、主である』と。しかし・・」(7-9節)。

4.イスラエルのエジプトからの解放は、神による直接的な「エジプトの地から導き出し」(6節、9節、10節、[14節]、[22節]、[34節]、[35節])と語られ、モーセによるエジプトへの「十の災い」(出エ7:14-12:36)や「葦の海の奇跡」(14:1-31)には言及がない。

5.荒野は、神の「掟」(フキーム、但し表現は「わたしの掟」)と「裁き」(ミシュパティーム、同「わたしの裁き」)、及び「安息日」に対する民の継続的な不従順の記録である。取り分け、安息日は偶像との関連で語られる(16節)。しかし、そこにはシナイ山への言及がない。

6.初子または子どもの献げ物(25-26節、31節)が捕囚前の最後の時期にイスラエルで行われていた形跡。

7.ゼキエルの中でモーセへの言及が全くないという事実は、どう説明されるべきか。ことの重大さ!神の最初の自己顕現はエジプトの地でイスラエルに直接なされたとされ、創世記における族長たちへの関与(アブラハム、イサク、ヤコブ)を前提としていない。イスラエルの初め。

しかし出エジプト記では神はモーセを通して民へ自らを現し、同時に族長の神でもあることを示す(出エ3章15節)。これは、出エジプト記の著者が創世記の族長伝承と、エゼキエルの出エジプト伝承にモーセを挿入し、二つの伝承を合体させた(merger)と考えてよいのではないか。しかも、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という表現は将来祭儀的に用いられるという含みを持つ。もし、出エジプト伝承がモーセと初めから結びついていたなら、エゼキエルがモーセをオミットすることは考えられない。もし、創世記のモーセの十の災いがモーセによるオリジナルな出エジプトの伝承であったならなおさらの事である。参照、神の名「わたしは在りて在る者」という神の名の紹介も出エジプト記の作者の筆か。

更に注意しておくべきは、十の災いの最後、即ち初子の殺戮は、過ぎ越しの祭の原因譚であるが、その大事なイスラエルの祝祭の原因たる出来事が、エゼキエルの出エジプトでは何ら言及されないという事実。では、過ぎ越しの祭は、その起源をバビロニヤに求めるべきか?参照、申命記16章5節(ローカルな聖所での一日祝祭)、出エジプト記12章(家族の祝祭)。

8.このエゼキエルの記述は、創世記において繰り返し語られる土地付与の約束を反故にする!それは同時に、創世記と出エジプト記との関係を見直す(別々の作品と)契機を孕む(9月の勉強会で触れた!)。

但し、創世記=出エジプト記―民数記をヤハウェストの一貫した作品と見なす者は、この見直しに気付かないか(見過ごすか)、無視するか。

9.エジプト記(ヤハウェスト)では、エジプトにおける異邦の神々への崇拝記事はない。このことは、創世記と出エジプト記の間の整合性を或る程度指示する。しかし、出エ32章の「金の子牛」の記事を勘案すると、創世記と出エジプト記の間の整合性はやや薄れるが、「アブラハム、イサク、イスラエル」に言及することによって、両者をつなぎ止めている。

10.モーセによる十の災いの働きがない。1を参照。

11.出エジプト記に見られるモーセの役割の不在!シナイ山における(出エ19章)モーセを通しての十戒授与(20:1-21)、及び契約の書(20:22-23:33)の提示が、出エジプト記を軸にすると、エゼキエル書には全く見られない。また、創世記では天地創造の記事に安息日が語られるが、出エジプト記では16章で、マナを六日集め、七日目に安息し、主の聖なる安息日である、との原因譚が語らえる(申命記8章3節の敷衍か?)。「七日目の安息日」即ち「七日毎の安息日」という制度は、捕囚期にバビロンで発展したものか。

12.出エジプト記では最後の災いがエジプトの初子打ちであり、それによってイスラエルは自分たちの初子の代わりに当歳の雄羊を代用することにより、神の救いを記念するもの、即ち過ぎ越しの祭とした。12章、13章11節以下の人の初子にための当歳の雄羊による贖い。

イスラエル文学史の問題

1.旧約聖書を読むとき、創世記、出エジプト記、民数記というように、旧約聖書の構成の順序を軸(中心)として読むのか。それとも、軸は多様であり、しばしば他の一巻一巻が軸となる可能性があり、創世記などは他の一巻一巻を軸にして読まれるべきか、という問題。

その例として、エレミヤ書34章の「ヘブライ人の奴隷規定」。出エジプト記21:1-6、申命記15:12-18、レビ記25:39-55

2.旧約聖書一巻一巻がそれ自体として何層かに区分される文学史を自らのうちに包している。

例えば、イザヤ書に於ける第一イザヤ(1-39章)、第二イザヤ(40-55章)、第三イザヤ(56-66章)。或いは、エレミヤ書内における「預言者」の位置づけの変化、変遷(5:13、31、8:10、14:13ff、18:18ff、――20:2、28:5ff、37:2ff)。

3.或いは、doublet(二重記事)と呼ばれるもの

列王記下18章13節―20章19節=イザヤ書36章1節―39章8節(イザヤへの言及) 列王記下24章18節-25章1-21節=エレミヤ書52章1節-27節(エレミヤへの沈黙)

その他エゼキエル書から見えて来る問題

1.エゼキエル書11章16節の「ささやかな聖所」(ミクダシュ メアトゥ)。「短い間の聖所」とも訳し得る。エルサレムの罪のため、ここでは神の栄光(カボード)はエルサレムを離れて、捕囚の民の中に「ささやかな聖所」として神は臨在することを告げる。――出エジプト記33章7-11節の幕屋、即ち「臨在の幕屋」(オーヘル モーエード)は、民の罪のために設置されたもので、エゼキエルの「ささやかな聖所」に対応するものではないか。

2.人々の期待に反して、神が語れということだけを語る(6章1節、13章17節、21章2節、7節、25章2節)エゼキエルと、民数記22章38節のバラムの類似。

3.エゼキエル書28章と創世記2-3章との関係。エゼキエルの先行性。ティルスの託宣で語られる王のような人物、エデンの園に居を構え、守護聖人ケルブに囲まれ、罪なく無垢であった、しかし美と知恵の高慢が見出され、パラダイスから放逐される。 

4.アブラハムについて(エゼキエル書33章24節)。前586年のユダ崩壊後にイスラエルに残った者たちは、「土地はアブラハム一人で所有していた」と言う(一人?イサクとヤコブは?)。エゼキエルはこれに対して捕囚を生き残った者が土地を所有すると考える。しかしエゼキエルもユダに残った人々も、アブラハムはメソポタミヤで召命を受け、カルデヤのウル、即ち捕囚の地から上ってきたという創世記の記述を知らない。

 この創世記のアブラハムが第二イザヤによって継承される。「わたしの愛する友アブラハムの末よ、わたしはあなたを固くとらえ、地の果て、その隅々から呼び出して言った」。

第二イザヤ(40-55章)とヤハウィスト(創世記、出エジプト記)の関連

第二イザヤの中心的関心は、一つは現在捕囚になっている民を解放しようとするヤハウェ神の「力」と「意志」を明らかにし、伝えることであり、他方で第二イザヤ自身がこの使信を伝えるために神から「啓示」を受けたことを民に信じて貰うことにあった。

1.第二イザヤは所謂預言者の伝統の中で、「創造者としての神」と言う観念を最初に導入した人物である。エゼキエルもなるほどティルスの託宣の中で(28章12-19節)創造神話に言及するが、ヤハウェに対するイスラエル起源と関係の中ではこの創造モティーフを使ってはいない。「創造」という用語(バーラー)、また「起源」(ミクラー)という言葉はアンモン人やエルサレムの原初的な誕生に使われるエゼキエルの用語であるが、創世記における極めて積極的なこの用語の使い方を前者は未だ知らない。第二イザヤにおいてヤハウェによる創造行為は同時に、イスラエルの選びと解放に強く結び付けられる。以下、イザヤ書43章1節(参照54章5節も)、

 ヤコブよ、あなたを創造された(バーラー)主、イスラエルよ、あなたを造られた(イャーツァー)主は、今、こう言われる。「恐れるな」、何故なら、わたしはあなたを贖った(ガーアール)、わたしはあなたをわたしの名をもって呼び出した(カーラー)。あなたはわたしのものである。

2.第二イザヤは、バビロン捕囚からのヤハウェによる解放の積極的なモデルとしてヤハウィストの出エジプトと荒野放浪を用いる。これは先に見たエゼキエルの出エジプトと荒野放浪の理解とは異なる。しかしヤハウィストのそれを用いる際、バビロンからの解放は先のエジプトからの解放よりより優れていることを強調する。以下、イザヤ書52章11-12節から、

立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ。汚れたものに触れるな。その中から出て、身を清めよ、主の祭具を担う者よ。しかし、急いで出る必要はない、逃げ去ることもない。何故なら、あなたたちの先を進むのは主であり、しんがりを守るのもイスラエルの神だから。

出エジプト記のエジプト脱出と異なり、銀や金(出エジプト記12章35節)を携えていくことに言及しない。何故ならそれらは民を汚し、背教の原因となることを避けようとするからである。

出エジプト記のように、急いでエジプトを去ることを、第二イザヤは主張しない。何故なら神の保護を前提とするからである。しかしその保護は、出エジプト記の「雲の柱」(13章21-22節)や葦の海の記事における同様の雲の柱(14章19-20節)を前提としており、旅の「先頭」と「しんがり」によって代替されて表現されていることが読み取れる。

3.すでにヤハウィストによって出エジプト記3章14節で示された「わたしは在りて在る者」という神表現が、第二イザヤによって幾つかのバリエイションを持って表現されている。

わたしはヤハウェ、最初の者にして、最後の者と共なる者、私がそれ。41章4節

わたしは主、これがわたしの名。42章8節

わたしこそ主、わたしの前に神は造られず、わたしの後にも存在しない。43章10節

わたしは神、初めでありまた終わりであるもの。48章12節

4.カナンのパンテオンで「エル」と呼ばれた首神が、ヤハウェと同定(identify)されていく記事をヤハウィストは創世記31章13節、35章1節.3節、46章2節に持っているが(定冠詞のハを伴って)、第二イザヤは42章5節、43章12節、46章12節で同様の表現を用いる。以下、42章5節から、

主(ヤハウェ)である神(ハエル)はこう言われる、天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。

5.因みに、上の引用は創世記のアダムの創造記事を彷彿とさせる。

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